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市民セミナー報告書より

自然保護センターは冬季閉館前の賑わい

ドライブウェイから眺める六甲山は紅葉が鮮やかになっていました。晴れ渡った記念碑台は14℃でひんやりとし、11月末で閉館する直前の記念碑台を訪れるハイキング客が目立ちました。定例の環境整備活動には8名が参加し、散策路の植生調査とアセビ実験区の環境調査に分かれて活動しました。アセビを伐採した実験区画が明るい雑木林に一変したのが印象的でした。

「論より食!」を体現する弓削さん

弓削さんは牧場を経営する傍、大学講師や県の地域ビジョン委員など多くの公的活動もされています。都市型農業や循環型社会について、弓削牧場での実践を踏まえた意見は多くの共感を集めています。多岐にわたる事業の実践は驚きですが、その背景には、「農業で生きていく、生産者と消費者をつなぐ、そして日本の農業を守り抜く」という農業者の哲学がうかがわれます。
農業産物の貿易自由化という大きな危機に直面していますが、「日本の農業は滅ぶ」と危惧されて打開策を試みている、国際感覚豊かな弓削さんの提言が切実になっています。

市街地の酪農経営はパイオニアワーク

講演の前半は息子さんが作成されたパワーポイントで、住宅地の中にある弓削牧場の風景や、生産・加工・販売・サービスなど多彩な事業活動を映写されました。
冒頭で、昭和18年に箕谷山中の耕作放棄地に牧場を創設され、通勤酪農を始めたお父さんの卓見や斬新な試み、身体を壊す苦労なども紹介されました。1960年代半ばに大学進学をやめて農業を継承、アメリカに1年農業留学して当時の最新技術、アメリカの農業を勉強されました。帰国すると、牧場の周辺は住宅地に激変していました。
続いて、弓削牧場の都市型農業の取り組みを具体例で説明されました。24時間放牧と自動搾乳ロボット、自家製堆肥と園芸部門、ハーブ栽培と販売、チーズ工房とチーズハウス「ヤルゴイ」のオリジナルメニュー、森林植物園内の支店経営、ハチミツ生産やホエイソープ(乳精石鹸)などです。さらに、結婚式、カルチャー教室、ライブイベントの場を提供されています。活動の広がりに感嘆しきりでした。
後半は都市型農業の課題や提言を語られ、活発な質疑応答を重ねながら、農業の将来への不安と打開策について、熱い思いを開陳されました。六甲発の高原野菜の供給基地をつくる提案をされるなど、前向きに知恵を出す大切さを訴えられました。六甲山麓での独創的な酪農経営に目を奪われがちでしたが、日本の農業のあり方や次代を担う人たちに何を残すかを真摯に考え実践されていることに感銘しました。

循環型農業を通して環境を考えたい

もっと多くの人に聞いてもらいたいと痛感。弓削さんと弓削牧場の皆さんが拓く循環型社会の道しるべに啓発を受けました。六甲山での生産活動にも注目したいと思います。

講演の内容

講演の挨拶(弓削 忠生さん)

少年時代によく訪れた六甲山で、このような機会をいただき嬉しく思います。今日は弓削牧場がどのような環境にあるのか。また会社の概要などについて映像を交えながらお話したいと思います。

1.弓削牧場が拓く都市型農業

■父が拓いた弓削牧場

 昭和18年に父が箕谷の山中にある耕作放棄地3haを買い取って牧場を創設した。「農業をすれば自分の家族だけは食べていける」と考え、脱サラして須磨寺から箕谷まで通勤酪農を始めた。
  「二反の山と三反の田と畑と有畜農業」が持論で、耕作放棄地には乳牛が最適とし、当時は珍しい弓削式耕作法を実践した。
 戦時中に召集され、「兵隊に牛乳を飲ませば力がつく」と提案し、終戦まで牛の飼育を担当した。
  終戦後は「消費者に食べてもらいたい」という思いで、家族消費で余った牛乳でヨーグルトやバターを作った。大阪北浜にレストランを開いて、10L缶を半日かけて運んだ。私の高校時代にとうとう身体を壊して店を閉じた。

■父の後を継ぎ、農業実習生として渡米も

 1960年代半ば、極左ゲリラの活動が盛んな時期、「農業をしていた方が安全だ」と説得されて兵庫県立農業大学校に進学した。1年間学んで、農業リーダーを育成する農業留学プログラムに実習生で参加。米国農家で1年間生活し、当時の最新技術やアメリカでの農業技術を勉強した。
帰国すると今まで牛を放していた山が住宅地になり、風景が全く変わった。1970年に現在の場所に移転。最近は住宅地の開発がどんどん進み、周りから緑が少なくなってきている。

■都市型農業の様々な実践

○24時間放牧と搾乳ロボットの導入
牛は24時間完全放牧しており、平成18年からは搾乳ロボットを導入している。コンピューター管理によって牛の好きな時間に搾乳できる。
○牛糞を加工して野菜・ハーブ作り
牛舎横にある堆肥舎では、自家製堆肥をつくり牧場内の園芸部門で消費し販売もしている。
 30年前に園芸部門をスタート。料理用の野菜やハーブに加え、販売用のハーブ苗も生産。ビニールハウスでは、野菜・ハーブを生産し、週末には季節ごとの朝採り野菜を出荷している。
○チーズや菓子、乳加工品を製造販売
チーズ工房では、牛乳の殺菌・ビン詰め、チーズの製造を行い、チーズハウスで販売している。菓子工房では、チーズ工房で製造された乳製品を使い、オリジナルの生洋菓子や焼き菓子を製造。
○チーズハウス・ヤルゴイ:
牧場内で製造された乳製品やハーブ、野菜を使って、牧場でしかできないオリジナルのメニューを提供している。
 3年前からは牧場内で栽培しているハーブを利用してハチミツの生産も始めた。牧場外では森林植物園に支店としてカフェと売店を併設する「ル・ピック」を出店。牧場製のソフトクリームはここでしか食べられない。
 食品以外にも、チーズを作る際に出る乳精(ホエイ)の手荒れ抑制作用に着目し、ホエイソープを開発。無添加製造で石鹸も作っている。
○トレードマークは3人の子供
各商品のパッケージに載っている3人の子供の絵は、長女、長男、次女がモデル。職業柄、子供を色んな所に連れて行けないので、全国のお客さんに買ってもらい、色んな所に連れて行ってもらいたいという思いを込めている。
○結婚式にカルチャー教室、広がる活動
平成9年から牧場での結婚式を実施。さまざまな世代の人が出席にハーブやチーズを食べてもらい、元気になってほしいと思い企画。また、カルチャー教室も開催し、昭和62年からはチーズ工房での工程を外で体験してもらおうと教室を開催し、様々な教室を開催。酪農をしているとライブハウスにもなかなか行けない。色んな人に音楽を聞いてほしいと考えライブイベントも手掛けている。
○ヤルゴイに込める思い
モンゴル草原では厳冬期に植物が冬枯れして動物がやせ細る。春になりヤルゴイの花が咲くと、やせ細っていた動物たちが花を食べて生き返る。牧場に来て元気になってもらいたい、そんな思いを込レストランをヤルゴイと名づけた。

2.都市には耕作放棄地がいっぱい

■震災で出来た空き地に畑作りを提言

阪神・淡路大震災の後、家が倒壊して空き地となった土地が多かった。空き地を畑などにすれば、植物を植えることや花の咲いた風景があることで心が和む。作物を育て自給もできる。

■北鈴蘭台に菜園都市をつくりたい

牧場周辺の北鈴蘭台地区5000世帯の家の垣根を畑に変えて、全世帯に野菜を作ってもらいたい。野菜作りを始めると隣人同士の繋がりでき、様子がおかしいとすぐ気付くので孤独死を防ぐ。老後の生きがいも見つけてもらえる。
住民に野菜作りを教え、肥料を提供することで、都市型牧場の役割を果たせる。

3.六甲山を活かす市民農園

■六甲山は無農薬の恵まれた土地である

日本では完全無農薬で農業が行われている所はない。六甲山は例外で農薬を利用していない。
欧州では農場にあるレストランにハエが飛んできても客はみな平気で、農薬を利用せず自然と共生している。また、液肥を使うことで森林がよくなって里山を復活させられると思う。

■六甲山を高原野菜の供給基地に

六甲山には気候、風土に合う作物が必ずある。農地を作ることで六甲山発の高原野菜の供給基地ができる。作った高原野菜を六甲山で食べることができますとPRすれば、たくさんの人が訪れるようになり、より六甲山の魅力が増すと思う。

質疑応答とまとめ(抜粋)

○貿易の自由化・TPP:
日本の農業は潰れる。その克服が都市型農業の役割、弓削牧場の実践だ。
○乾草の輸入:
アメリカからの輸入、日本の乳牛は400万頭、アメリカは4億頭で輸出の余裕。
○酪農家の苦労:
父が亡くなって迷った。農業は時給170円でニートの方がまし。欧州では年間300万円の所得保障、日本の農政は30年遅れ。
○第一次産業の将来:
日本の牛乳はキロ100円、欧米は航空運賃をのせても80円くらい。兵庫県の総生産に占める第一次産業は平成17年度で0.5%に低下。物をつくる担い手が減少。
○都市型農業の発展:
エネルギーの取出しが必要、メタンガスの発酵や液肥の活用が課題になる。
○農業は最先端医療:安全なものを生産しそれを食べることで怪我や病気を防ぐのが医療の先端。
○農業体験は多面的な考え方を養う:
普通科に農業化を設け、野菜作りのできる保育士を育てたい。
○牛は60頭でやっていく:
チーズづくりやレストランを実践、牛からエネルギーも取り出す

事務局より

弓削さんは「豊かさの中に何かを捨ててきたのではないだろうか。日本でも実践するべきだと思う。まだ知恵を出し切っていない」と、都市型農業の実践を全国各地に発信されている。世界観を持って、自分の活躍の場から現状打開の試みを続ける、大きな励みを得ました。