参加申し込み

市民セミナー報告書より

午前中は小雨の中で自然体験会

 午前10時から12時半まで、14名が自然体験会に参加した。あいにくの小雨だったが、近畿自然歩道から”まちっ子の森”を散策した。
 二つ池ではモリアオガエルの卵塊を調べ、雑木林ではマイウッドの様子を確かめた。行き帰りの道端にはコアジサイが満開で、足下をよく見るとアリマウマノスズクサも雨の中で輝いていた。

 講演が始まった午後からは、風雨が一段と強くなっていった。

中村さんはまさに「六甲山人」

 中村 圭志さんにお会いしたのは、2011年12月に開催した企画展「昔の六甲を知ってみよう!3」の会場でした。まるで仙人のような風貌は印象深く、六甲山について幅広い知見をお持ちで、悠々と過ごされている雰囲気が漂っていました。登山ガイドブックの講師をお願いした前田康男さんは、六甲山の地図の監修をはじめ沢山の著述をされていること、特に2001年発行のヤマケイ関西『六甲山』の内容は「六甲山の百科事典だ」と絶賛されました。まるで六甲山の「生活誌」を広報されているようで、自由人然とした中村さんを「六甲山人・ろっこうさんじん」と呼びたくなります。

「六甲山に集い楽しむ」様々な動向

 事前に「カフェのような講演にしたい」というご希望で、資料やシナリオを作らない試みになりました。冒頭で、「六甲山の茶屋や山に住む人、生活に関心がある」と述べて、少年期からの六甲山への関わりを紹介されました。震災後、『六甲山』の編集に携わって、六甲山の多彩な魅力を再発見し自分の拠って立つベースになっていると説明されました。
 続いて、パワースポット六甲山として、癒しを求める時代に六甲山はピッタリであること、「降っても晴れてもどっちも楽しもう」という自然に溶け込んだ山の楽しみ方を提唱されました。
 終盤は街に住む人が訪ねる場所として、様々な活動を紹介されました。昔の茶屋を復活することにつながる「山カフェプロジェクト」の推進や、街中の山好き人間が経営する飲食店、六甲山をステージとする若者達の自由なイベントなど、楽しそうに話されました。
 最後に、「六甲山のエエ話を広められたらいい」と締めくくって、早めに退出されました。異例のことですが、残った参加者で自己紹介や話題提供して交流しました。

「六甲山を楽しむ」素朴な視点

 中村さんは、六甲山の様々な活動を広く紹介できる代表的な編集者です。「六甲山を楽しむ」という素朴なタイトルでくくっているのも特徴です。当会の活動を照らしてみると、狭く深くという傾向があり対局にあるように思われます。今回の講演で視野が開かれたような気がします。いずれにせよ、市民の自然資源を大切にしたいものです。

講演内容

講演の挨拶(中村 圭志さん)

 豊中生まれの中村です。街からみた六甲山をテーマに山の本を作っています。
 六甲山の茶屋や山に住む人、生活に関心があり、六甲山を活用する会の企画展や六甲山
物語の村上茶屋の話にすごく親しみを覚えたことで、2012 年4月発行の『るるぶ六甲山』(JTB発行)という本を題材に話をすることになりました

1.ぼくのビオトープまたはテーマパーク六甲山

■ケガが六甲山に目を向けさせた

 子供の頃、ボーイスカウトやYMCAで山歩きやキャンプをしていた。高校、大学で本格的に登
山を始め、大学では年間100日くらい山に入る、厳しい登山をやっていた。卒業後「一生懸命やったことで何かでけへんかな」と、山旅して小屋を手伝ったりして生活していた。当時は高い山ばかり考えたが、その頃ケガのリハビリで六甲山を歩いて、こんな近くて低山ながら標高差900m、宝塚から須磨まで50数キロ、登山コースは100もあるすごい山やと再認識した。これはおもしろいと雑誌に投稿を始めた。だんだん仕事も増えガイドブックは50冊くらい出した。

■震災後、皆が六甲ってエエとこやなと再認識した

 震災後「この場所からなんかでけへんかな」と、2001年に『六甲山』(山と渓谷社発行)という
雑誌※を作った。地元の登山家、神鉄や阪急のハイキング担当、藤木九三先生の息子さん、モンベルの辰野さん、県立高校山岳部の連中、おばあちゃんクライマー、六甲山小学校の先生など地元の多彩な人がでてくる。それだけでなく六甲博物誌、山上の施設、有馬温泉、昔話、六甲の登山史など多彩で「震災後、みんなで六甲を通してもっかいがんばろうや」という本になった。これはよく売れ、皆の六甲山に対する想いで、六甲ってエエとこやなあと再認識した。これがぼくが拠って立つベースになった。

■今、目的のない山旅を楽しむ

 普段は単独行で目的なしに週3回くらい歩いている。歩いていてぱっと発見したのがものすごく
インパクトがある。ごっつい岩。なんで丸いの?割れてるのは誰かが?それとも自然に?そんなことを興味深く見ている。しいていえば逃避。山は逃避なんかな?街に住んでるからかなと思う

2.聖地またはパワースポット六甲山

■多難な時代に癒しを求める

 母親の里が丹波、京都の山奥で子供の頃に見た日本の原風景~春になったら花が咲き新緑へと移っていく山里の風景を六甲山に行ったら思い出す。その原風景がこの山とぼくのつながりかなと思う。
 その風景は癒しの空間でもある。調子が悪くても六甲山に登ると何か落ち着くことが多い。多難な時代に癒しの場所として六甲山に登る人も多いのではないか。特に、女性は敏感で街に自分たちの居場所を探すと同時に六甲山の自然の中に入って行く。
 山ガールが六甲山でいち早くブームになったのも聖地での癒しを求めてではないか。

■「雨奇晴好」で自然を受け止める

 禅の言葉。本屋にも禅や癒し系の本が並んでいる。「降っても晴れてもどっちもいいね」、「気が滅入りがちな雨の日も、あるがままに景色を見ればいつもと違っておもしろい。これにちゃんと気づいて雨を楽しもう」なかなかよい言葉が載っている。六甲山はこのことが自然に納得できる聖地ではなかろうか。

 この境地で山を楽しみたい。このごろは登山も多様やなあと思う。

■自然のエネルギーを受け取る

 パワースポットに人気がある。山に入って自然の中で宇宙のエネルギーを皆が感じているのだと思う。隆起している山自体がパワースポットで、山上のナイトウオークでも暗い森の中をヘッドラ
イトで歩いたり、ヘッドライトを消したりして山の精気を強く感じ取っているのではないか。

3.街に住み訪ねる場所としての六甲山

■山の茶屋を賑わいのカフェにしたい

 六甲山には大正、昭和初期から茶屋がたくさんあったが、店主の高齢化でやる人が少なくなっ
た。茶屋の衰退は寂しい。若い人が週末にでも手伝えないかと思って、山カフェプロジェクトを始
めた。若い子が手伝うことで若い客が山にろっこう来るのを期待している。
 音楽や書籍などがあり、コミュニケーションスぺースにもなっているのが街のカフェ。カフェは
山にあってもよいし山全体がカフェであってもよい。若いお客さんが昔からの年配のお客さんに
山の話を聴く、そういうのがもっと増えたらいいなと思う。今数軒くらいお手伝いして、六甲山カフェ(屋号ではなくスタッフの総称)を作っている。山は自然がBGM。

■六甲山の伝統とつながる山カフェ

 グルームさん以後、ハンターさんやドーントさん達が縦横無尽に六甲山を歩き、毎朝登って茶屋
で休憩した。ここから毎日登山や茶屋も発展してきた。今も毎日登山が行われ、茶屋がその署名所になっている場合が多い。山の茶屋は人と人の交流の場でありカフェ感覚がある。山カフェも考えてみれば明治以来の六甲山の伝統だったのだ。

■街に下りて六甲山を語る

 山の本なのに街場の山好きの人のお店を載せた。カトマンズカリー、シンズバーガー、いつじ青果など、山を下りてここへくると街場でもコミュニケーションができる。ザックを持ったお客さんを見たら店主が山の話をする。山登りしたことのないお客さんに「六甲はええねんで」と話をすると「今度連れてってえや」となる。
 水道筋チンタ本店では、エンジン付き以外だったら自転車でもトレイルランでも何でもいいから
須磨~宝塚六甲全山縦走路を走って競争しようやというキャノンボールランを主催している。参加資格は自力で下山できる人で、降りるのも時間も自己責任でせえという割り切りや自由さがよい。
 若者たちの自由なイベントが面白いので載せた。街でも六甲山との接点ができるのが面白い。

まとめ(中村さん)

 「活用する会」の活動でいいなと思うのが学習くささがなく遊んでいる感じ。子供たちもある子はマイウッド、違う子は木の穴が目当てで来る。1つのテーマではないんやなあと思う。六甲山の
メニューはいっぱいあっていいんじゃないかな。鳥、花、森、道つくり、山掃除など各人の目的は
ちがう。しかし一つの旗に集まるのはおもしろいなあ。その時は集まって、ばらばらに散ったとし
ても六甲山のエエ話を広められたらと思います。

出席者の意見交換

 15時以前に中村さんが帰られ、残ったメンバーで交流した。地図に詳しい赤松さんから話題提
供もあり、カフェの余韻が残ったようであった。

事務局より

 六甲山の茶屋に賑わいを復活させようとするプロジェクトの話を聴き、まちっ子の森の雑木
林復活や、自然を慈しむ心を育もうとする我々の活動との共通性を感じた。山カフェや摩耶山
のリュックサックマーケットに集まる若者の心根も理解できる気がした。その心根を支えてい
るのは都会での彼らのライフスタイルをうめようとする街場のカフェなど居場所でのつながり
を求める心なのではないか。