参加申し込み

市民セミナー報告書より


天候を心配しつつ、14名の参加で楽しんだ

 朝の記念碑台は小雨交じりの曇りで、気温は13℃と肌寒いでした。降雨の予報で参加者が減り、午前中は12名でシュラインロード分岐まで「散歩道」をゆったり散策しました。
午後は14名で、親しみながら講演に参加しました。

ヒマラヤ登山や山岳図書の蒐集なども紹介

 加藤さんは経験豊富なプロの山岳ガイドです。1980年代に20歳代で3度もヒマラヤの8,000m峰に登っておられます。現在は登山用具のパイオニアの好日山荘で、登山学校の運営に携わって、初心者や非組織者の安全登山を普及する窓口にしようと尽力されています。

 ヒマラヤ登山を通じて山の石に興味を持たれ、登山技術の古典をはじめ、六甲山を知るための登山書、地図、資料なども集めておられます。探求心が旺盛で、知識・見識を伝えることにご熱心です。「自然に親しむとか、自然に遊ばせてもらうという感覚が好きだ」とのことです。

登山学校の運営や登山用具の解説が好評

 講演の冒頭は、3回のヒマラヤ登山の体験談です。壮大な風景を目にしながら、死に損なったことなどもさらっと話されました。当時の服装や道具、ポーターとの関わりなど印象深い話です。そして、20年を経た現在の登山のスタイルが大きく変化していること、日本の山・自然の魅力を強調されました。

 プロの山岳ガイドになって14、5年。登山の世界も変化しています。日本山岳ガイド協会が公益社団法人になり、事業として安全登山の普及に力を入れています。そこで、『百
万人の山と自然講座・登山基礎』を出版することになり、加藤さんは執筆者となり、全体の校正を行われています。

 好日山荘では、初心者や非組織者に登山技術や安全登山を普及する窓口として、登山学校を設置しました。その教材はガイド協会の『登山の基礎』が柱です。加藤さんはその中心になって、登山の安全を講義し、山を一緒に歩かれています。

 六甲山は自然に親しむ山と考え、近代登山発祥の地としての六甲山にも関心を高め、古い書籍や地図などを蒐集されており、貴重な資料も持参して紹介されました。

 終盤は予定時間を超えて、持参された山の道具を解説されました。道具の使い方やタイミング、道具の限界を知ることや、使い手のマナーの大切さを説かれました。LEDランプやハイドレーション(水タンク)などの使い方のポイントを懇切に教えていただきました。

六甲山の地道を歩く楽しみを見直したい

 プロの山岳ガイドが安全登山を普及されているのに敬服します。「散歩道」を初めて歩かれたとの感想にも驚き、六甲山の地道をゆっくり味わう楽しみ方を再発見しました。

講演の内容

講演の挨拶(加藤 智二さん)

 登山の技術とかはいろんな所でお話しています。今日は最も話にくい、自分のこともお話しします。六甲の近くに住む縁があって、六甲山のこともっと知りたいと思うようになりました。

1.六甲山 私の味わい方

■1980年代にはヒマラヤ体験

 私がヒマラヤに最初に行ったのは1984年で、まだヒマラヤが面白かった。中国とパキスタンの国境にあるガッシャーブルムⅡ峰(8,035m)に4人の登山隊で行った。氷河が削っていった石に興味を持った。斜面を滑り落ちて死に損なったりした。荒涼としたヒマラヤと日本の山は空気が違った。空気が乾燥して緑がないので、日本の山に帰って、腐植土や葉っぱの匂いにほっとした。

 1987年、27歳の時に中国のチョー・オユー(8,201m)に行った。頂上は野球ができるくらい
真っ平らだった。日本の冬山装備が全て通用した。

 1988年にネパールのエベレストに行った。アイスフォールはルートの難所になっていた。

 最近は頂上に100人も200人も登るようになり、金と時間と酸素があれば誰でも登れると言う
人もいる。

■登山から興味を広げた

 山の上に白い石や固いチャートがあったら、昔はどこにあっのかを考え、かって海でできたことがわかってきた。『日本の地形と地質』や『地質百選』とかを買い求め、中央構造線沿いの山を登った。今も山に入ったら必ず石の写真を、周囲の様子がわかるように撮ってくる。岩場に行くと、この岩はどこから来たのかなと考えながら登ることが多い。

■阪神大震災当日から山麓の鶴甲に在住

 1995年1月16日、前職を辞めて九州から車で夜中中走って、2時に鶴甲の団地に着いた。何も無い部屋に寝袋を敷いて寝ていたら地震がきた。17日は初出社の日だったが、電車に乗れなかった。しばらくして連絡すると「死んでいるのかと思った」と言われて、歩いていくと電車が動いていて、デパート地下の食品街がふつう通りだった。鶴甲住まいの初日は大変印象が強い。

 神戸に住んで六甲山を良く歩いている。トレーニングするにはけっこう良くて、鶴甲から油コブシを登ってアイスロードを下るとか、油コブシを道路まで出たらまた帰るとか、毎日登山ほどはできないが、思いついた時にやっている。

2.基礎を学ぼう 登山学校

■山岳ガイド協会が「登山の基礎」を出版

 私が山岳ガイドの仕事をして14、5年になる。今は公益社団法人日本山岳ガイド協会の傘
下の下部組織の日本プロガイド協会にいる。公益社団法人になったので、安全登山を普及する
ために、最低限これだけは知っておこうという『百万人の山と自然講座・登山基礎』を出版した。私も執筆者になり、本の校正はほとんど自分がやった。この本の第1章は「山登りの楽しみ方」とした。

■好日山荘で登山学校に携わる

 組織やクラブ・同好会に入っている人は本当に少ない。非組織の方もいて、「好き勝手に登ったらいい」という時代になっている。事故は必ず起きるが、初心者が学ぶ所は無いので、そのような人達の窓口になる登山学校をやることになった。

 好日山荘の登山学校は、ガイド協会の『登山の基礎』を教科書として導入して、登山の安全の講義をしたり、一緒に山歩きしながら登山に関することを説明している。たとえば、歩き方とか歩くスピードとか、自分の体調管理など。心拍数をコントロールし、水分も適切にこまめにとりましょうとか、食べる物を適切にこまめにとりましょうとか、言っている。

 六甲山でもけっこう遭難はある。私たちは怪我の防止もする、自分の足で帰りましょうと。六甲山は散歩みたいに自然を楽しむ山だが、雨風を避ける知恵も必要だし、道具も必要になる。自然の中で遊ぶスポーツだから、自然と対峙するとか征服するという言葉は仰々しい。個人的には遠征という言葉は嫌いだ。日本人の感覚からすると、自然に親しむとか、自然に遊ばせてもらうという感覚とかが好きだ。

3.快適・安心の登山用具

■好日山荘は登山用具のパイオニア

 サンテレビで六甲山のいろんな所を紹介したり、歩いたりした。近代登山の発祥の地を現地に確かめている。好日山荘は、1924年に西岡一男さんが山道具を輸入しようとして看板を上げて、来年90周年になる。今私がいる好日山荘は商標を持ち主から引き継いでいる。古いものを尊重する気持ちが出て来て、ちょっと古い六甲に関するものを自分の手元に集めるようになった。

 岩登りの本を読んでみると、昔の人は技術だけでなく感性が入っていて面白い。好日山荘の昭和6年のガリ版刷りのカタログには「正直であること」「良き品を揃えるべきこと」と結構気合いが入っている。

■最近の登山用具いろいろ

 道具さえあればいいというのではなく、道具はあくまでも人間のサポートをするだけだから、使い方や使うタイミングを間違えない、道具の限界を知ることが必要だ。

●軽合金のカラビナ:約2トンを超える強度がある。しかし、開いてしまったら200か300キロの力ですぐ壊れてしまう。

●LEDのヘッドランプ:球の明るさは35~200ルーメンの範囲。ルックスは部屋の明るさを現す。夜目で慣らしてヘッドランプは暗くして使うのがコツ。必要な瞬間だけ明るくする。

●ゴアテックスのレインウエア:洗って汚れを落とす。汗は液体なので、温めた方が水蒸気(気体)として放出しやすい。生地の撥水性維持が大切。

●ハイドレーション:リュックサックに背負ったままで、吸口から吸える水タンク。24時間で体重×15CCを「不感蒸泄」しているので、適切な水分補給をするのに有効。

●救急用具:毒虫の毒を吸い出す注射器、伸縮が無く固定できるテーピング・テープが便利。

●トレッキングポール:公共の乗り物に持ち込むマナーが必要。3つ折り式はリュックサックに収められるので重宝。

●ダウンジャケット:非常にコンパクトで夏山にも持っていく。きれいに洗うと元に戻る。

●コンロとガスカートリッジ:小型の燃焼機器でケースに全部入ってしまう。

●アミノバイタルやサプリメント:晩ご飯を食べてから飲んで寝た方が、次の朝早く回復する。

質疑・応答

●「山を征服するという違和感」という話に共感した:

僕たちが登る時は自然の条件が良い時だ。厳しい自然に対して謙虚さをもっていた方が良い。
●参加しない方が良いツアーは?:

好日山荘は認定ガイドをつけている。ガイドが競争し質を高める。ガイドの催行人数の多いのは心配。

まとめ(加藤さん)

 六甲山の写真も、アリマウマノスズクサの名前もそうですが、交流することで知的刺激を受けて、いろんな勉強をしてみようという気になりました。知っていることをさらに伝えていきたい。

事務局より

 プロの山岳ガイドの加藤さんと一緒に「散歩道」を散策しました。道端のアリマウマノスズクサに感動されたので、クライミングに加えて素朴な山歩きの楽しみ方も達人だと思います。「散歩道」は初めて歩かれたとのことで、登山者にもドライブウェイでなく「散歩道」に馴染んでもらう必要を痛感しました。