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  • 神戸の作家・陳舜臣さん

 海文堂は同業に携わる者からは憧れられる個性的な書店でした。大作家である陳舜臣さんは「神戸の作家」として阪神大震災時に神戸に深い愛着を持っていました。ミニコミ誌で陳舜臣さんの一周忌を特集しました。本を扱ってきた立場から、お話してみたいと思います。

平野さんは昨年12月『ほんまに』17号に没後1年[神戸の作家としての]陳舜臣を特集し発行されました。陳さんは神戸の作家として阪神大震災の際に心のこもったメッセージを発信しています。阪神大震災以降18年、勤務されていた海文堂が廃業しました。元町で「海の本屋」としてこだわりと存在感が大きかった書店です。六甲山麓に住まれた陳さんを本屋の視点から語っていただきます。(事務局)

開催日時2016年10月15日(土) 10:00
会場六甲山自然保護センター& 近畿自然歩道・まちっ子の森
講師平野 義昌 ( ミニコミ誌 執筆者)
詳細 チラシPDF 報告書抜粋PDF

市民セミナー報告書より

第128回テーマ

海文堂、震災、そして

陳舜臣さん+野坂昭如さん

  • 海文堂書店について
  • 陳舜臣
  • 野坂昭如と六甲界隈
  • 陳舜臣・野坂昭如比較神戸考

実施日:平成28年10月15日(土)  午前10時~ 15時00分

場  所:六甲山自然保護センター、記念碑台・散歩道

講師:平野 義昌さんプロフィール

1953年(昭28)神戸市中央区生まれ・在住、62歳。1976年関西学院大学法学部卒。コーベブックス、三宮ブックスを経て、2003年海文堂書店入社。人文書を担当し、13年海文堂廃業後もパート仕事の傍ら、ミニコミなどに執筆を続ける。著書に『本屋の目』(みずのわ出版)、『海の本屋のはなし-海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)がある。

秋晴れの活動

秋晴れの行楽日で、午前中の自然散策にほぼ全員が参加しました。8名は散歩道の沿道のササ刈りに精を出し、10名(写真)は森と歴史の散歩道を楽しみました。午後の講演に19名が出席しました。

『六甲山物語』の店頭販売でお世話になった

平野さんとは10年以上前、海文堂に新刊の『六甲山物語』の店頭販売をお願いしたのがご縁でした。当時のご担当で、わざわざ六甲山コーナーを設けていただき恐縮しました。

そして今年の年頭。ミニコミ誌『ほんまに』17号に陳舜臣さん追悼の特集号を発行されたという新聞記事を眼にしました。陳舜臣さんはこの市民セミナーの講師にお招きしたいと念願していたお一人で、昨年末にお亡くなりになって、目論見はついに実現できませんでした。

このような事情から平野さんをお招きしました。直前には野坂さんの話もテーマに加えていただきました。

海文堂の話題から「神戸考」へとつながった

冒頭で100年におよぶ海文堂の歴史を紐解き、創業・再建・文化活動・震災・閉店の節目や経緯、書店のライフヒストリーといえる解説をされました。

馬券売り場建設運動に端を発し、地域の文化活動支援や陳舜臣さんとの出会いがありました。震災後に文化活動支援に注力し、それまで培った人間関係のネットワークを生かして、企業メセナ協会・メセナ奨励賞も受賞しました。地方の書店のユニークな活動が全国的に評価されたのです。

創立99年で閉店し、予想外の盛大な閉店行事になり、翌年には「99+1」という100年イベントが催されました。その後も平野さんたちが、ミニコミ誌『ほんまに』や、『海の本屋のはなし』の出版や著述活動などを続けています。

続いて、陳舜臣さんのお話です。震災後に神戸新聞に寄稿された「神戸よ」のメッセージに感激され、神戸出身の大作家が忘れられた存在になっているのに不満を感じて、『ほんまに』17号で陳舜臣追悼集を出版したと思いを語られました。陳さんが日本国籍の台湾人で民族差別に翻弄されたこと、著作の風景描写から神戸在住の作家としての地域への関心などを紹介されました。

新刊の『ほんまに』18号は神戸の空襲と作家たちの特集で、その中から野坂昭如さんの紹介です。「闇市焼け跡派」を自称し、多彩な活動を続けた野坂さんが、六甲界隈で複雑な家庭で暮らしたことなどを説明されました。

終盤は陳舜臣さんと野坂昭如さんを対比し、神戸との関わりや神戸に抱く原風景を解説され、「命について平和について大仰に語るのではなく、体験からメッセージを出している」と共通点を述べられました。

「小さな歴史を大切に」は心に響く

平野さんは、「小さな歴史を大切に」と結ばれました。『海の本屋のはなし』のあとがきに、福岡店長がお客さんから評価されたことを、「神戸という地域に根ざした姿勢。本屋を拠点としたさまざまな文化発信のありよう。偉ぶらず、本を求める人たちにできる限りオープンに扉を開けていたこと。本を媒介として極力お客様と対話を重ねようと務めてきたこと。儲けにならないバカなことも多々敢行してきたこと」の5つを挙げています。そのような実践がよくわわかります。小さな歴史に目を向けることを大切にしたいですね。

参加の感想  木村明恵さん

今回が2回目の参加ですが、前回とはまったく異なる内容で、多方面からのアプローチを試みられていると拝察いたします。2013年廃業された元町の有名店・海文堂でご勤務されていた平野義昌さんの、本を通じたさまざまな関わり、神戸という地の奥の深さを感じました。海と山に囲まれた風光明媚な地。人と人との関わりも同じく明るく、その中から生まれる可能性を感じ、心温まるひと時となりました。

主催:六甲山を活用する会

協力:兵庫県立人と自然の博物館

後援:神戸県民センター、灘区役所、神戸市教育委員会

【助成金をいただいている機関】順不同

大阪コミュニティ財団(東洋ゴムグループ環境保護基金)、

コープこうべ環境基金、セブン-イレブン記念財団、 GGG国立・国定公園支援事業

 

第128回テーマ:海文堂、震災、そして陳舜臣さん+野坂昭如さん

  • 海文堂書店について
  • 陳舜臣
  • 野坂昭如と六甲界隈
  • 陳舜臣・野坂昭如比較神戸考

第128回市民セミナーの流れ

市民セミナー

1.自然体験:10:00~12:10

2.講演  :13:00~14:20

3.休憩  :14:20~14:30

4.意見交換:14:30~15:00

講演のあいさつ(平野 義昌さん)

海文堂が2013年に閉店後は主夫とパート仕事、余暇は本の紹介などを書いています。ミニコミ『ほんまに』に陳舜臣さん追悼特集を出版したことから今回のセミナーに呼ばれました。陳さんの「六甲山房」が六甲山系にあるという細かい関係で、ややこじつけです。ついでに、『ほんま』最新号で神戸空襲と小説を特集したので、灘区六甲道周辺で少年時代を過ごした野坂昭如も加えてお話しします。

1.海文堂について

■大正3年設立の海の本屋

元町商店街3丁目で長らく「海の本専門店」としてご愛顧をいただいた。70年代中頃までは専門書中心の品揃えだったが、島田誠社長就任で総合書店になり、画廊を併設。小林良宣が入社し中心的存在になると、「海事書」に加えて、地元の本・著者を大切にする、人文書・文芸書・児童書に力点を置くという「海文堂」の基礎が固められた。福岡店長時代はイベントと古本販売に力を入れ、神戸の本屋の代表的存在(売り上げではなく)として評価を受けた。(海文堂の歴史の一端を紹介)

1914(大正3):賀集喜一郎が海事図書出版・販売「賀集書店」を創業。

1930(昭和5):岡田一雄入社、経営を立て直す。

1945(昭和20):3月空襲で店舗焼失。

1973(昭和48):岡田一雄死去、書店は島田誠が継承。

1984(昭和59):阪神元町駅ビル馬券売り場建設反対運動。陳舜臣も参加。

1995(平成7):1.17阪神淡路大震災、「アート・エイド・神戸」立ち上げ。

1996(平成8):海文堂、メセナ奨励賞受賞。

2000(平成12):小林店長退職、福岡新店長、島田社長退任。

2013(平成25):8.5従業員に閉店発表、9.30閉店。

■震災後の文化活動支援も特色

阪神淡路大震災での被害は軽微で8日目には営業再開でき、海文堂が次のようなことを行った。

  • 営業再開することで街に「明るい灯火を掲げる」:出勤可能な従業員は避難所で寝起きして復旧作業。取引会社の支援あり。
  • 「学童に文具を贈ろう」:取引会社の支援あり。児童書担当者が避難所に読み聞かせる出張。
  • 文化活動・芸術家支援「アート・エイド・神戸」立ち上げ:芸術家の皆さんが海文堂に駆けつけ、何かできることがないか相談。文化活動による復興支援、芸術家支援。チャリティー美術展、音楽会、壁画キャンペーン、震災詩集発行、若い芸術家に少額だが現金支援。
  • 96年、「アート・エイド」活動により、企業メセナ協議会・メセナ奨励賞受賞:小さな本屋が、ほとんど金を使わずに、これまでの人間関■震災後100年の幕を閉じる
    • 震災後の本屋:再開できた・できなかったで明暗。しかし、再開した本屋も震災後の不況で経営上の問題点が次第に露呈。有名店や地元有力書店の廃業、倒産、移転が相次ぐ。2000年、海文堂も島田・小林退任。
    • 海文堂閉店:何よりも売り上げ減少がすべて。8月5日発表、9月30日閉店という性急さに納得いかなかった。スタッフはプロとして仕事を完結したと自負している。創業99年の老舗にはそれなりの「往生」が必要だったと今も思っている。しかし、お客さんたちは2ヵ月弱の期間にお別れに来てくださった。感謝。
    • 閉店後の残党(落ち武者)の活動:閉店作業終了後、顧客の方々がさよならパーティーを開催。そこで島田元社長から100年イベントを提案した。2013.2:『ほんまに』第15号で海文堂閉店特集を出版。2014.5~6:「海文堂生誕100年まつり 99+1」2014.9:『ほんまに』第16号《続・神戸の古本力》。

      2015.7:平野著『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』を苦楽堂より出版。出版記念関連イベントを多数開催。

      2016.1:『ほんまに』第17号《神戸の作家としての陳舜臣》を出版。

      2016.9『ほんまに』第18号《神戸空襲と小説》を出版。

      2.陳舜臣

      ■馬券売り場反対運動が陳さんとのご縁

      島田社長時代に阪神電鉄元町駅馬券売り場反対運動で協力いただいた。「元町の文化と伝統を守る会」代表就任。ブックフェア、サイン会など交流があった。

      ■震災時のメッセージに涙を流した

      阪神淡路大震災後の「神戸新聞」95.1.25朝刊。陳は病床にありながら神戸市民に激励のメッセージを送ってくださった。当時私は三宮ブックスで復旧作業をしていた。陳のメッセージ「神戸よ」を読み、涙を流した。

      ■「ほんまに」で陳さん追悼の特集を出した

      陳は2015.1.21逝去。ご高齢で長く闘病中だった。近年新作品の発表はなかったので、世間では忘れられた存在だったかもしれない。事実、本屋の棚に作品が少ない。私は新聞・雑誌の追悼記事や特集の少なさに不満を持つ。特集は「大手がやらないならミニコミがやる!」の心意気。『ほんまに』がミニコミという身分も顧みず、陳追悼特集を出版したのは、神戸の大作家への敬意と共に、あのメッセージ「神戸よ」へのお礼である。

      『ほんまに』17号陳舜臣追悼号(中)

      ■ミステリー『六甲山心中』の六甲山の描写

      『六甲山心中』は、心中しようと六甲山を徘徊する若いカップルが、殺人事件に巻き込まれるストーリー。

      《いま私は書斎の南の窓から、神戸のまちを見下ろしている。夏の夕陽を浴びて、一直線の防波堤が港に白く伸び、そのむこうを紀伊の山なみが縁どっている。/ふりかえって、東の窓をみると、そこから六甲山の緑がのぞきこんでいるようだ。木々の息吹は、私の膚にまで伝わってくる。/こんなふうに、神戸の海や山はやけに身近かに迫り、私はふだんはそれに包まれ、そしてときにはそこから脱出しようとする。

      小説をかくとき、私はいつも自分を脱走者のようにおもう。(後略)》/陳舜臣『六甲山心中』あとがき

      3.野坂昭如と六甲界隈

      ■闇市焼け跡派を自称

      野坂は『火垂るの墓』『一九四五・夏・神戸』などで神戸空襲体験を作品にしている。少年時代、実母の親戚に養子入り。養父も祖母の養子。複雑な家庭環境で親子互いに遠慮があっただろうが、不自由なく育つ。灘区中郷町、成徳小学校卒業、神戸市立第一中学校(市立葺合高校の前身)中退。

      野坂は多彩な活動で目立つ存在だったが、「闇市焼跡派」を自称したように、空襲で養父母を亡くし、妹(養女)を栄養失調で死なせてしまった。その虚しさ・後ろめたさを引きずってきた作家。デビュー作品『エロ事師たち』はアウトロー小説だが、性と死がテーマ、神戸空襲のことや死んだ妹の実名を出している。

      ■野坂の六甲界隈の描写

      『火垂るの墓』にくわしい六甲界隈描写はないが、『一九四五年・夏・神戸』にある。《神戸旧市部、東のかぎりをなす石屋川は、六甲山系鶴甲山の奥に源を発し、東明の浜へ注ぐ。ふだん、笹舟もおぼつかない心細い流れだが、大雨が降れば、土砂をまじえて黄色い濁流の、四メートルの川床をおおいつくし、すさまじくほとばしり、これは六甲山系の地盤が風化花崗岩で、吸水量のすくないためと、また、山裾そのまま海へなだれこむ、地形のせいでもある。》

      4.陳舜臣・野坂昭如比較神戸考

      ■陳舜臣と野坂昭如、それぞれの神戸

      • 陳:1924(大正13)年神戸生まれ。戦前、日本国籍だが台湾人、民族差別を体験。空襲で被災したが、家族無事(叔母が死亡)。生まれ育ち、作家になってからもずっと神戸在住(戦後一時台湾帰郷)。陳は神戸の焼け跡からの復興過程を見ている。開発についても一定の理解がある。ただ、近代化・開発には人間の生活が結びつかなければならないと考える。
      • 野坂:1930(昭和5)年東京生まれ、実母の縁者に養子に出され、神戸育ち。強度の近視で軍国少年脱落。空襲で家族死亡。戦後実父(新潟)に引き取られる。

      野坂の神戸原風景は少年時代過ごした町並みであり、焼け跡。

      ■大きな歴史と小さな歴史(結び)

      陳と野坂は個人的体験や視界で捉えたものを語る。そして、阪神大水害、戦争、空襲を体験して、命について平和について大仰に語るのではなく、体験からメッセージを出している。

      私は海文堂の本を書くときに、「港町神戸の発展と海文堂」というような大それた歴史を考えていた。編集者のアドバイスあり。読者が知りたいこと・読みたいことは、海文堂のみんなが日常していたこと、考えていたこと、仕事、棚づくり、お客さんとのエピソードなど日々の小さなことだ、と。最初の原稿を手直しし、同僚たちのインタビューをした。知らなかった話がいっぱい出てきた。

      こうして、海文堂という本屋の小さな歴史の本ができた。小さな歴史が貴重で、大切。

      事務局

      平野さんは照れくさそうでしたが、海の本屋、震災、陳舜臣、そして野坂昭如と、気になる出来事や人の話題を結びつけて話されました。大切なものを懐かしむ一編の叙事詩を紡いだようでした。六甲山の魅力再発見に新たな興趣を盛り込んでいただきました。

      ◆参考・配布資料など

      ・パワーポイント:「海文堂書店、震災、そして陳舜臣さん」

      ・レジュメ:「海文堂書店、震災、そして陳舜臣+野坂さん」

      ・参考資料:『ほんまに』15号、17号、18号

      ・参考資料:『海の本屋の話』/平野義昌著/苦楽堂

      ・参考資料:『本屋の眼』/平野義昌著/みずのわ出版

    • 平野 義昌:ひらの よしまさミニコミ誌 執筆〒650-0017 神戸市中央区楠町1-8-8

      電話:078-371-2948

    • ◆参加者の声・整備された山の道を歩き、気分が良かった・元町通に行けば必ず、海文堂によっていた。神戸の歴史である海文堂の話に興味があった。

      ・陳舜臣さんの震災メッセージ「神戸よ」に私も感激した。

      ・海文堂書店は本を売るだけでなく文化発信の拠点であった。

      ◆参加者:19名(50音順・敬称略)

      泉 美代子 伊谷 正弘 伊谷 幸子 岩淺 敬由 今村 千穂 大上 政雄 岡  敏明 岡谷 恒雄 木村 明恵 嶋崎 勝男 須貝 邦子 武内  宏 竹野 智明 堂馬 英二 平野 義昌 村山百合子 柳田千恵子 龍造寺眞子 渡辺  洋

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    2013.2:『ほんまに』第15号で海文堂閉店特集を出版。

    2014.5~6:「海文堂生誕100年まつり 99+1」

    2014.9:『ほんまに』第16号《続・神戸の古本力》。

    2015.7:平野著『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』を苦楽堂より出版。出版記念関連イベントを多数開催。

    2016.1:『ほんまに』第17号《神戸の作家としての陳舜臣》を出版。

    2016.9『ほんまに』第18号《神戸空襲と小説》を出版。

    2.陳舜臣

    ■馬券売り場反対運動が陳さんとのご縁

    島田社長時代に阪神電鉄元町駅馬券売り場反対運動で協力いただいた。「元町の文化と伝統を守る会」代表就任。ブックフェア、サイン会など交流があった。

    ■震災時のメッセージに涙を流した

    阪神淡路大震災後の「神戸新聞」95.1.25朝刊。陳は病床にありながら神戸市民に激励のメッセージを送ってくださった。当時私は三宮ブックスで復旧作業をしていた。陳のメッセージ「神戸よ」を読み、涙を流した。

     

    係=ネットワークを中心に人が集まったことに大きな意味がある。

 

 

3.休憩  :14:20~14:30

4.意見交換:14:30~15:00