第77回 東六甲の神秘・保久良山
保久良山を多くの方に知ってもらいたいと思います。六甲山系の東端にあって水成岩の地質で、古来の祭礼の遺跡もある由緒ある神社です。(猿丸)
保久良山は標高185メートルで、瀬戸内海が見渡せます。境内にある「一つ火の灯籠」は海路の灯台として貴重な存在でした。岡本駅から30分強、毎日登山でも賑わっています。金鳥山経由でロックガーデン・六甲山へのルートで、初春は梅林が美しい所です。保久良神社の縁起や、宮司の猿丸さんの思いなどをうかがって、六甲山の魅力再発見を広げていきます。
| 開催日時 | 2009年8月15日(土) 13:00 |
|---|---|
| 会場 | 六甲山自然保護センター |
| 講師 | 猿丸 義也(式内社 保久良神社 宮司) |
| 詳細 | 案内チラシPDF 報告書抜粋PDF |
六甲山上には秋の気配
表六甲のドライブウエイ沿いの樹木は花を落として深緑に変化し、山上は少し肌寒さも感じました。午前中の環境整備活動は「清掃ピカピカ隊」9名が応援し、総勢18名でササ刈りや観察を行いました。
お盆休みで終戦記念日の8月15日でしたが、40名という予想以上の参加者でした。講演に先立って全員で黙祷を捧げました。
保久良神社を支える猿丸さん
保久良神社宮司の猿丸義也さんは81歳の高齢で、膝の具合が良くないにもかかわらず、立ちっぱなしで朗々と神話を語られる、かくしゃくとした様子に参加者は感激しました。猿丸さんは宮司の家系で、お父さんが保久良神社を復興されました。教職を長く勤められた後、昭和48年に宮司を継がれました。
標高185メートルの保久良神社は古代の祭祀跡がある信仰の土地で、中世から海上交通の要所にもなっていました。
景勝の山を愛し、先祖の偉業を伝えようとする猿丸さんの熱意に触れることができました。
神話の伝承も行楽の楽しみも豊か
講演では、六甲山系における保久良山の位置の解説がありました。保久良山の背後には海抜約300メートルの金鳥山がありますが、一帯は水成岩の地質で、六甲山よりも早く隆起した山です。
保久良神社の社殿を取り巻いて巨石が点在しており、昭和13年の社殿改築工事の際に土器などが出土し遺跡の指定も受けています。弥生時代から祭祀が行われた古くからの信仰の土地でした。東六甲で一番海に突き出している地形で、保久良神社の灯籠は「灘の一つ火」と呼ばれ、大阪湾の航海の道標になっていました。
続いて、保久良神社のご祭神や地名の由来などを詳しくご紹介いただき、神話の時代にタイムトリップしました。そして、現在の行事や阪神大震災での被害など生々しい出来事、六甲山のハイキングコースとして貴重なトイレが活用されているお話など、多岐にわたって、保久良山の魅力を伝えていただきました。
東六甲の鎮守の杜を大切にしたい
保久良山と保久良神社について知ることができました。岡本の市街地近くで歴史と自然が残っている景勝の土地、東六甲の貴重な鎮守の杜を大切にしましょう。
講演内容
講演の挨拶(猿丸 義也さん)
今日は終戦を迎えて64回目の日です。過去の皆さん方の努力によって生かされていると感じています。
今日は知っている限りのことをお伝えして、六甲でも昔からこのような信仰が続いていることを知っていただければ幸いです。
1.六甲における保久良山の位置
■保久良山は六甲山系では珍しい地質
保久良神社は神戸市東灘区本山町にある。昔は神戸市武庫郡本山村、さらに古くは摂津の国莵原の郡、本庄荘と言った。
保久良神社がある金鳥山は、六甲山系では珍しい水成岩でできている。金鳥山は六甲山よりも先に隆起した山だと言われている。
■江戸時代には米相場を伝える旗振り山だった
保久良神社は海抜185mの位置にあり、背後には海抜約300mの金鳥山がある。眺めが良く、東は生駒や葛城山、西は須磨の鉄枴山まで見渡せる。江戸時代には、大阪の米相場を伝える旗振り山として使われ、武庫川の堤と須磨の旗振山を繋ぐ中継点だった。
■弥生時代から続く信仰の地
社殿を取り巻いて、磐座(いわくら)・磐境(いわさか)と呼ばれる巨石が約50個点在する。ストーンサークルの一種と考えられる。自然の石もあれば人工的に動かした形跡も見受けられる。
昭和13年の社殿改築工事の際には石斧や銅戈、鏃、土器などが出土し、遺跡の認定を受けた。出土したものは紀元前2~300年頃の祭礼用のもので、その頃から人が居住し、祭祀を行ってきたことが立証されている。
■航海の道標として親しまれた「灘の一つ火」
保久良山は東六甲で一番海に突き出している山で、海からよく見える。神社の灯篭は「灘の一つ火」と呼ばれ、大阪湾の航海の道標として親しまれた。古くはかがり火を燃やし、平安時代の頃からは灯篭に油で火を点じた。現在では防火上の理由で電灯になっている。
2.保久良山の信仰と姿
■神武東征を嚮導した椎根津彦が祭られている
保久良神社のご祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)と大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)。椎根津彦は、古事記・日本書紀によれば、神武天皇の東征のとき瀬戸内海を海路で大阪まで先導された方。その功績により、「倭宿禰(やまとすくね)」の名をもらった。
■海上交通の灯台として保久良神社ができた
椎根津彦は海の神様で、瀬戸内海の航路を知り尽くしていた。海上交通の安全を確保するため、大阪湾の海辺に突き出していた金鳥山を目指し、青亀(現在の青木)で上陸して、磐座を設けたのが保久良神社の由来だと思われる。
■保久良は祖先をお祭りしたところ
保久良の「保」は火に由来し、火は魂という意味がある。「久良」は庫(くら)で、祖先の神様をお祭りしたところという意味になる。火の倉、または烽火台という説もある。
火を供給することと、航海の安全を守るということが代々受け継がれていった。
■金鳥山には宝物が眠る
保久良神社の社記によると、神功皇后が三韓征伐から帰られた後、広田・長田・生田神社を祭った後、保久良に宝物を収めたとされている。また、日本書紀の垂仁天皇の項には「神の庫」が「保玖羅」とわざわざ書かれている。このように、保久良は昔からいろいろな形で知られていた。
■太古の昔から続く餅づくり
1月20日に大俵(だいひょう)祭がある。5合ほどの餅を長方形に平たく伸ばして、両側から真ん中に折り重ね、藁苞にしてお供えする。これは昔、兵糧として用いられた餅で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲征伐の帰路、この餅を持参して参拝したと社記に記されている。現在このような餅は、保久良にしか残っていない。
3.保久良山と私
■阪神大震災で大きな被害を受けた
阪神大震災の朝も山に登っていた。揺れが来て、傍にあった柱にくらいついた。お月さんが煌々と照っていたのを覚えている。街を見下ろすと、西宮以西は真っ暗だった。神社は鳥居や社務所が倒壊するなど大きな被害を受けたが、皆さん方と共に復興してきた。
■初春には梅が楽しめる
昭和50年に岡本梅林を再現して、境内に梅が植えられた。毎年2月~3月、麓より10日ほど遅れて梅が楽しめる。参道には桜も咲く。秋には幼稚園の生徒がどんぐり拾いに上がってくる。六甲山のハイキングコースにもなっていて、賑わっている。
質疑応答
椎根津彦だけを祭るので十分では?
昔から保久良山周辺は出雲系の神様の影響が強かった。椎根津彦が入ってくるときに、地元の神様を祭ることで融和を目指したのではないか。
灘の一つ火はいつまで火を点していたの?
電灯に変えたのは昭和33年頃。16軒の家が交代で灯明番をした。
まとめ(猿丸さん)
保久良神社は、皆さん方に愛され、色んな意見をいただいてここまで続いてきました。これからも残された祖先の偉業を伝えて行きたいと思います。素晴らしい山が東六甲の東の端にあるということをお知りおきいただいて、お訪ねいただければ幸いです。
事務局より
今日は現代から神代の昔まで辿って解説していただき、長い旅をしたという感じがします。保久良山は六甲山系の名勝地だと実感できました。ぜひ皆さん、保久良神社に足をお運びください。
六甲山を活用する会事務局
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