• 建物のデザイン上の特徴
  • 建物の歴史と背景
  • 設計者古塚正治のこと

 六甲山ホテル旧館は昨年閉鎖され、建物解体の危機にあります。この建物は建設されることになった背景や当時の様子、設計者の古塚正治のこと、建物のデザイン上の特徴など、同建物の文化的歴史的価値についてお話しします。

六甲山開発が本格化した昭和4年に建設された六甲山ホテルは、往来が上山者で賑わった六甲山銀座の宿泊拠点でした。今も六甲山上の中央部で、地域のシンボルになっています。この旧館2階には、設立者の小林一三氏が使われた応接間が往時の雰囲気を伝えています。通産省から近代産業遺産に指定され、六甲山上の観光名所のひとつになっています。この由緒ある建物に脚光を当ててみます。(事務局)

開催日時2016年6月18日(土) 10:00
会場六甲山自然保護センター 近畿自然歩道・まちっ子の森
講師笠原 一人 (京都工芸繊維大学 助教)
詳細 チラシPDF 報告書抜粋PDF

市民セミナー報告書より

第126回テーマ

文化遺産としての六甲山ホテル旧館

  • 建物の歴史と背景
  • 建物のデザイン上の特徴
  • 設計者古塚 正治のこと

実施日:平成28年6月18日(土)  午前10時~ 15時00分

場  所:六甲山自然保護センター、記念碑台・散歩道

講師:笠原 一人さんプロフィール

1970年(昭45)、灘区出身・在住。

1998年京都工芸繊維大学大学院博士課程修了。2010-11年オランダ・デルフト工科大学客員研究員。近代建築史・建築保存再生論専攻。日本建築学会近畿支部近代建築部会主査。DOCOMOMO Japan幹事。住宅遺産トラスト関西理事。

 

六甲山ホテル旧館の外観を見学した

午前の記念碑台は20℃で晴れ、行楽日和です。15名が環境整備でササ刈り。17名は散歩道を回遊し、六甲山ホテルの旧館を訪れました。外観を観察し、六甲山事情に詳しい森地 一夫氏から、写真パネルで解説いただきました。午後は43名が参加しました

宝塚ホテル・六甲山ホテル旧館の保存を提言

今年の2月に新聞紙上で、日本建築学会近畿支部が六甲山ホテル旧館の保存の要望書を阪急・阪神ホールディングスや神戸市などに出されていることを知りました。早速、建築学会の事務局に講師派遣をお問い合せし、中心人物の笠原さんをご紹介いただきました。 笠原さんは建築史の研究者で、地元の灘区にお住まいです。建築遺産の保存・維持に、力を注いでおられます。今回は、六甲山ホテル旧館の素晴らしさに脚光を当てたお話をお願いしました。

地域遺産を見直して保存することを啓発された

笠原さんは宝塚ホテルや六甲山ホテル旧館の保存を提起されています。午後の講演は「文化遺産としての六甲山ホテル旧館」をテーマに、体系的にお話いただきました。まず、昭和初期の六甲山をめぐる阪急と阪神の争いを紐解いて説明されました。六甲山ホテルの建設、ケーブルやロープウェイ、山上道路の開発、六甲山開発の勢いと熱気が伝わりました。

続いて、六甲山ホテルの建築的特徴を詳しく説明されました。スイスやドイツなどヨーロッパの山岳地帯に見られる伝統的な建物の様式に基づいて、時代の流行のデザインも取り入れていること。専門家の目から見た外観や内装の特徴などを写真で詳しく解説されました。

旧館を建築した古塚 正治は阪神電鉄勤務後、早稲田大学に入り、宮内省勤務という経歴を持つ、阪神間で活躍した優れた建築家で、宝塚ホテル本館など数々の名建築を残しました。1929年建設の六甲山ホテルは山小屋風のホテルの先駆で、同時代の上高地ホテルや雲仙観光ホテルに先立った存在でした。古塚 正治はホテル論で、六甲山ホテルを「遊興地及び季節を主とするもの」で、大衆の利用の必要も説いています。

六甲山ホテルは、山小屋風ホテルの先駆けとなるデザインの大半が現存し、古塚 正治の数少ない現存作品で、阪神間モダニズムの象徴となる貴重な建物です。問題の保存活用については、改修して耐震性を向上させることは十分可能なので、所有者の保存意欲を期待して終わりました。

人工の美を生かす文化を大切にしたい

六甲山ホテル旧館に注目して、建築物そのものの魅力はもとより、建築の時代背景や建築家のビジョンが表現されていることを学んだ。名建築を評価して維持活用するには、それを支える地域文化や愛着を持つ人々の存在が鍵になります。今あるものを大切に生かすことに尽力したいものです。

参加の感想  杢谷さん

建築設計を業とする私は、素晴らし近代建築群が取り壊されている現状を憂いておりました。笠原先生は長きにわたり近代建築史を研究されており、村野藤吾氏の研究では、日本を代表する研究者の一人と言っても過言ではありません。本セミナーでは六甲山ホテル旧館を保存する意義を改めて認識できました。そして貴会やボランティアの方々の熱い想い、六甲山を愛する地域の皆様の笑顔に出会う事ができ、心が豊かになった一日でした。

主催:六甲山を活用する会

協力:兵庫県立人と自然の博物館

後援:神戸県民センター、灘区役所、神戸市教育委員会

【助成金をいただいている機関】順不同

大阪コミュニティ財団(東洋ゴムグループ環境保護基金)、

コープこうべ環境基金、セブン-イレブン記念財団

 

第126回テーマ:文化遺産としての六甲山ホテル旧館

  • 建物の歴史と背景
  • 建物のデザイン上の特徴
  • 設計者古塚 正治のこと

第126回市民セミナーの流れ

市民セミナー

1.自然体験:10:00~12:10

2.講演  :13:00~14:10

3.休憩  :14:10~14:40

4.意見交換:14:40~15:00

講演のあいさつ(笠原 一人さん)

今年初めに、阪急・阪神ホールディングス、阪急・阪神ホテルズに見解文を届け保存活用をお願いしてきた。六甲山ホテルは由緒のある歴史的な建物です。日頃使っている皆さんはすごい建物だと思っておられないが、非常にユニークで特徴のある、歴史的価値、文化的価値がある。改めて、六甲山ホテル旧館を文化遺産として見ましょう。

1.建物の歴史と背景

■六甲山ホテル旧館

今日の六甲山ホテルです。当時のものと姿が変わっている。くっきりとした表情、外観、構造的には変わらない。正面のこの辺りは全く変わらないけど、下には御影石が乗っていて、壁面にベランダが付いていた、ハーフチンバーという木が露出している所だ。1階の木が積み上げられているデザインになっている。今と較べると、屋根が斜めにカットされている。当時は切妻で、現在も向こう側の切妻はそのまま残っている。こちらは改変されている。

竣工当時そのままではないけど、骨格、全体の中心的なデザイン、そして内部(今は見えないけど)はよく残っている。六甲山ホテルとしての建物の価値があるし維持されているといってよい。

■六甲山ホテル旧館の経緯

1929年、昭和4年に竣工した。古塚 正治(ふるつか まさはる)という建築家が設計した。鉄骨鉄筋コンクリートおよび木造。基礎の地下1階、柱も鉄骨・鉄筋と思われる。それ以外は木造。

1926年、宝塚ホテルが地元の平塚嘉右衛門という事業家と阪急電鉄が共同出資(半分ずつ)で建てられた。六甲山ホテルは宝塚ホテルの別館でやはり共同出資で、初代社長は平塚氏。宝塚ホテルも解体の危機にあり、保存運動が高まっている(新聞記事)。六甲山ホテルは2007年に近代化産業遺産に指定された。2015年12月末に耐震性能の低さと老朽化を理由に旧館が閉鎖された。

■六甲山開発をめぐる阪急と阪神の争い

明治以降、グルームなど外国人が開発したことはよく知られている。1920年代、30年代、そして戦後は外国人に代わって、阪神・阪急がしのぎを削って開発した。最初は1905年の阪神倶楽部、食堂のような小さなものを作った、道路もない頃だ。20年代頃に動きがあり摩耶山にケーブルができた。六甲山には何もなかった。

1925年に阪急が六甲阪急倶楽部・阪急食堂を開設した。1927年には阪神が六甲山上の土地250haを買収した。そして、1929年の六甲山ホテル開設になる。1931年に六甲ロープウエイ(阪急)、1932年に六甲ケーブル(阪神)と開発ラッシュが続いた。

2.建物のデザイン上の特徴

■1930年代の山小屋風ホテルの先駆け

当時は山岳の観光化はスイスをモデルにしていた。建物の細部を見てみたい。これは正面、細部は凝ったデザインになっている。屋根を支えている腕木のようなもの(持ち送り)、ヨーロッパで軒下を飾る時に使うもので、そのデザインを取り入れている。

壁面、歪んでいるようなのもデザイン、軒裏も凝ったデザイン。玄関部分は当時の最先端のデザイン、荒々しく、柱もすぼんでいる、上に向かって開いていく力強いデザイン。ドイツで流行していた表現主義(荒々しい)を参照しただろう。

六甲山ホテルの玄関部分は表現主義で、世界はすでにモダニウムに向かっているので少し古風だ。裏面にはハーフチンバーが残っていて、凝ったデザインが見られる。

平面図を見る。1階ロビーにアーチがある、アーチはヨーロッパ建築の象徴。太い梁で力強くみせている。自然に近い荒々しいデザイン。スクラッチタイル(焼く前にひっかく)を貼って荒々しく見せている。

階段の手すりこに細かくデザインがあった、戦後やりかえられたようだ。2階のビリヤード室(1ページ写真)は、天井にトップライト、倶楽部のような空間がある。モダンな部分が随所に取り入れられて豪華な空間になっている。地下にはダイニンググルーム、キッチンがあった。おそらく鉄筋。現在、当時の特徴が残っている。

■山小屋ホテルの系譜

山小屋風のホテルは1930年代になって続々と全国に現れている。ところが六甲山ホテルはその直前で1929年に造られ、先駆けとなっていると言える。山小屋風というか、ハーフチンバーのホテルというのは、その前にトアロードのてっぺんに建っていたトアホテルのデザインにも採用されている。これは大邸宅風といった方がいい。そういう面からいうと、六甲山ホテルは正当な、スイスなどで見られる山小屋風の容貌をした、こじんまりした、まさに山岳に建っている

のが相応しいようだ。わかる範囲では一番早い事例だ。その後、山小屋風の雰囲気の上高地ホテル、雲仙観光ホテルも同じような感じ、軽井沢の万平ホテル。阪急六甲に建っていた、ホテル六甲ハウスも山小屋風だった。

3.設計者古塚 正治のこと

古塚 正治の経歴と特徴

古塚 正治は西宮・阪神間を拠点にして活躍した建築家。兵庫工業高校卒、阪神電鉄に入社、一念発起して早稲田大学に入っている。村野藤吾という有名な建築家と似た経歴を持っている。

そして、優秀でないと入れない宮内省の匠寮に勤務した。皇族関係の住宅とか建築物を造る所で、よっぽど腕が良くないと就職できない。そんなところで腕を磨いた。皇族の建築の特徴というのはモダニズムではダメで、様式的な伝統的なものをアレンジし、そこに少し新しいデザインを取り入れながら、デザインしていくのが当時の宮内省のデザイン。そういうところで訓練してきたからこそ、さっきの六甲山ホテルのようなものが建てられたのではないか。

そこから西宮の方に帰ってきて、八馬汽船という、銀行とか西宮酒造とかを経営していた方の建築顧問として就任した。西宮に建築事務所を開設して戦後まで活躍した。特徴としては、地元にいた、阪神間にいたということ。今でこそ建築家は山のようにいる。阪神間だけでも何百人といる。当時はまだ数えるほどだった。

彼の代表作の一つが宝塚ホテル。かつての宝塚市の市長さんの正司邸、多聞ビルディングという八馬汽船の本社ビルだったところは今も西宮に残っている。西宮市庁舎、西宮市立図書館、そして六甲山ホテルがあって、尼崎信用組合本店など、山のように作品を造っていた。戦前だけでも100~200という単位の作品群だったが、どんどん消えて少なくなっている。

■古塚正治のホテル論

六甲山ホテルが建った頃からホテルが大衆化していった。それまではオリエンタルホテルなど高級ホテルがたくさん建っていた。1929年を境にして大衆化していく。彼は「大衆化しないとダメだ」と言っている。アメリカのように大衆化しないと、採算的に難しい、そういう考えの延長で六甲山ホテルも造っている。

彼によると、ホテルは4つの種類がある。1.豪華なもの、2.ビジネスホテルのようなもの、3.月決め、4.季節もの。六甲山はシーズンホテル、もともと夏の2ヶ月だけオープンしていた。六甲山ホテルは、季節を狙ったものと位置づけしていた。

まとめ(笠原さん)

閉鎖された六甲オリエンタルホテルと並んで、六甲山を代表するホテル。1920年代から30年代の阪神間モダニズムと呼ばれる、この辺の文化の象徴となる建物です。現在、閉鎖されて保存が危ぶまれていますが、いくらでも改修して耐震性を向上させられる。耐震補強してリニューアルオープンしてほしいという願いを込めて、この重要性についてお話しておきます。

事務局

六甲山ホテルが、六甲山周辺地域の歴史と建築の転換期にできた文化遺産だという理解が深まりました。このテーマに多くの人が集まって意見交換でき、地域文化を大切にする気運を高める貴重な機会になりました。

◆参考・配布資料など

・パワーポイント:「文化遺産としての六甲山ホテル旧館」

・参考資料:「六甲山ホテル旧館の建物の保存活用に関する要望書」/「六甲山ホテル旧館の建物についての見解」

・新聞記事:朝日2016.2.21/5.28、産経2016.6.1

・岡本の洋館 内覧会・チラシ/住宅遺産トラスト関西

・大阪の建築150年・チラシ/Club Tap

笠原 一人:かさはら かずと

京都工芸繊維大学 助教

〒657-0015

神戸市灘区篠原伯母野山町2丁目2-1-109

電話:078-882-4949 FAX:同左

e-mail:kasahara@kit.ac.jp

◆参加者の声

・六甲山ホテルについて詳しく教えていただき感心しました。

・どんな方法でもいいので保存していただきたいです。

・今日は六甲山の歴史の話も聞き、有意義な散策ができた。

・六甲山が別荘地として開発された歴史を詳しく知りました。六甲山ホテルも何らかの形で保存されることを願います。

◆参加者:43名(50音順・敬称略)

天野 征一郎 池田 淳八 夫妻 泉 美代子 伊谷 幸子 伊谷正弘 井上 幸雄 井上由美子 今北 龍雄 大出 孝子 岡 敏明 岡谷 恒雄 笠原 一人 川部 忠夫 北村 明美 黒田美恵子 堺 令子 柴田 昭彦 嶋崎 勝男 鈴木 紀生 竹内 和美 武内 宏 竹野 智明 多田 葉子 徳見 憲一 堂馬 英二 中井 憲子 中尾 啓子 中尾 嘉孝 奈島 伴治 難波美智子 濱邊 定子 福島 静代 前田 道子 眞崎  光 松井 ** 三輪 孝子 村上 定広 杢谷 真一 森地 一夫  柳田 千恵子 山下 博邦 吉井 文子