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市民セミナー報告書より

六甲山ササ刈り隊が活躍

 午前中は曇り空を気にしながら、イベント清掃ぴかぴか隊13名と会員12名の計25名が集まりました。コアジサイが繁茂している近畿自然歩道のササ刈り・植生調査と、アセビ調査区画のササ刈り・環境調査に分かれました。記念碑台の気温は26℃、二つ池では22℃でした。午後の市民セミナーは46名で賑わい、終了時には雨が降りました。

大津さんは六甲山を隈なく歩く継承者

大津さんは、創立95周年を経た「ゆまゆき会」の中心メンバーです。「やまゆき会」は大正5年5月5日に創設された関西最長寿の登山団体です。「懇親と六甲山」が創立の原点の「大衆登山団体」で、歴代の会長は六甲山のあらゆる尾根筋・谷筋を探査して登山地図やガイドブックを出版しています。
 大津さんの山歩きは60年、入会以来30年近く六甲山を隈無く歩いておられます。愛用の25,000分の1地図は歩いたルートを朱書きされてまっ赤です。「これが私の宝です」と語る大津さんは、連綿と六甲山踏査を続けているやまゆき会でも、熟達者です。

六甲山の谷と尾根を開いた先人たち

 講演での最初は、初代会長の木藤精一郎氏とやまゆき会の概要について話されました。創立者の木藤精一郎さんは55年間会長を勤めて、昭和45年に83歳で亡くなっています。昭和12年には六甲山のバイブルと言われる、六甲山の谷と尾根を網羅した『六甲北摂ハイカーの徑』を著したことは有名です。平成14年、高座の滝に記念碑「山行」が建てられました。
 2代目の中村勲会長は『六甲とその周辺』、3代目の石上隆章会長は『六甲の谷と尾根』を発刊しています。
 昭和63年には、やまゆき会で「六甲山系100ピーク(YP100)」を選定して、メンバーがこぞって踏査しています。大津さんも完登し、愛用の踏査マップに赤線を一杯書き込まれたようです。
 休憩時間には前田康男さんから提供された古地図や文献を閲覧しました。休憩後は芦屋市広報課から委託されて芦屋市の最高峰を目指した登山の録画を鑑賞しました。大津
さんの山歩きの雰囲気が漂っていました。
 終盤には大津さんが推薦する登山ルート16について解説されました。特別推薦の高座地獄谷は、ホームゲレンデの地域で、愛着を込めて紹介されました。

廃れる山道も見直そう

 六甲山の登山道は398という説もあります。ルートが廃れて、山名・地名が不明になっている所もあります。一般には数少ない有名なルートを歩く人が多いですが、六甲
山を開いたパイオニアに敬意をはらって、多種多様な山道を歩くことを再考してみたいものです。

講演の内容

講演の挨拶(大津 陸郎さん)

 昭和7年生まれで来年は80歳になります。17歳で結核をして20歳までじっとしていて、そのまま死ぬのがいやで山に登るようになりました。調子を見ながら山に登っていましたが、60歳を過ぎてから少し元気になりました。

1.初代会長・木藤精一郎とやまゆき会と六甲山

■初代会長・木藤精一郎の功績

 私がやまゆき会に入会したのが昭和58年(1983)、初代会長の木藤精一郎さんは昭和45年(1970)に亡くなっているので面識はない。やまゆき会の創立は大正5年で木藤さんは28歳、亡くなったのは83歳だから、55年間、やまゆき会の会長をしてもらったことになる。
 大正5年5月5日、木藤さんは仲間と阪神の石屋川から土橋に出てアイスロードを通って、六甲山最高峰から有馬に抜けた。それが六甲山に上った最初で、やまゆき会をこしらえた日になった。
 昭和9年、阪急ワンダーフォーゲル部と一緒に活動した。いろんな地図を書きながら、誰でも登れるような庶民ハイキングの指導をしていた。山を歩き、どこかの谷にはいっては枝の谷を訪ねた。
 新聞記者だったので文章は上手かった。会報よりも雑誌を作ってあちこち、政財界のトップにも配った。絵も上手だったので、浮世絵風の絵を描いて喜ばれた。。
 平成14年に芦屋川の上の高座の滝の所に木藤さんの記念碑を建てた。名誉欲や金銭欲が少ない人だったので記念碑「山行」を建てることには疑問も上がったので、山歩きの安全の祈願を込めることにした。高座の滝には同時期の登山家藤木九三さんのレリーフもある。

■庶民の登山を先導した「やまゆき会」

 やまゆき会は「大衆登山集団」としてスタートして創立95年になる。関西では最も古い登山団体で、現在の会員は140名。「六甲山を原点に」ということで活動している。(疋田会長談)
 初代会長の木藤精一郎さんは、昭和3年に『コドモつれの近畿登山』①を発刊され、昭和12年には六甲山のバイブルと言われる『六甲北摂ハイカーの徑』②などを出版されている。これらの本には登山地図が付録になっている。
 2代目会長の中村勲さんは昭和35年に『六甲とその周辺』③を書いている。戦後の六甲山ガイドブックの先陣を切るものになった。3代目の石上隆章さんは『六甲の谷と尾根』④を昭和60年に発行した。木藤氏の伝統を受け継ぎ、ほとんどの谷と尾根を網羅している。

■大津さんの六甲山踏破マップ

 「これは私の宝です」と25,000分の1の地図4枚(宝塚、西宮、有馬、神戸首都)を紹介された。やまゆき会に入会以来30年近く、ホームグラウンドの六甲三山(六甲山、摩耶山、再度山)の尾根道、谷筋を何度も歩いて、4枚の地図に歩かれたコースを朱書きされている。六甲山一帯がまるで赤い蜘蛛の巣で張り巡らされたようになっている。
 大津さんは現在のやまゆき会で、六甲山を隈無く歩いている代表者だと言われている。
 六甲山踏破マップを目にして、六甲山への愛着と地道な取り組みに圧倒される。

2.六甲山系の山行推奨コース

■やまゆき会選定「六甲山100ピーク」

 先輩の矢野さんが提唱し、2代目の中村会長が中心になり3代目の石上会長も加わって昭和63年3月に選定した。田中誼子さんが1年半ほどかけて踏査し、私も全部歩いた。
 できた時にはメンバーに周知して、順番に皆で完登した。最近はあまり宣伝をしていない。当時から残っている私が頑張らねばと思っている。

■あしやリポート(DVD放映)

 平成14年4月に芦屋市広報課から依頼され、芦屋川本谷の源流を詰めて、芦屋市の最高峰蛇谷北山836mに登った。「春山・源流・最高峰」としてケーブルテレビで放映された。その時のVTRをご覧いただきたい。
 撮影にはカメラマン3人を含む7人のスタッフがついてきた。広報課の女性担当も初心者だが、登りにくいルートを歩いてもらった。

3.六甲山系の山名、地名

■六甲山系の推奨コース

 六甲山の魅力は、都会からすぐに来られ、ちょっと変わった所がある。日本中探しても無い。面白い所があるので、推薦ルートを紹介する。
 特別推薦は高座地獄谷、芦屋川からロックガーデン、風吹岩の手前、南西側に谷へ下りる。
 谷は長尾谷がトップクラス、水量は多いし、景色も良い。渡渉点があるので経験者が必要だ。摩耶東谷のゴルジュは長くて素晴らしい。
 山では逢ケ山でササユリやアリマウマノスズクサが見られる。古寺山は多聞寺というお寺があったと言われている。
 氷瀑は2月半ば、七曲がりの滝、百間滝がある。
確実な案内者がいないと近寄るのは恐い。
 書き忘れたが、誰でも行ける場所としては、六甲山牧場の向こうに穂高湖がある。きれいな人造湖でシェール槍にも登れる。眺めはものすごく良い。

山の歌合唱(大津さん)

講演の締めくくりに替えて、山の歌を合唱した。
エーデルワイス、花の街、そして故郷(ふるさと)の3曲を大津さんと気持ちを合わせて熱唱した。

事務局より

 やまゆき会が95周年を重ね、大衆登山を掲げる登山会として日本屈指であることを知った。身近な六甲山の尾根筋・谷筋の全てを歩き尽くした先人の功績に頭が下がる。大津さんがその伝統を歩き伝えておられるのだ、と実感した。